放射線や放射能は地球上のどこにでもあるにも関わらず、どうしてこれほどまでに不安に思われているのだろうか?放射線恐怖症、つまり放射線はどんなレベルであろうとも危険であるという非合理的な恐れの原因は何だろうか?放射線防護の権威者たちはなぜ、一般人の被ばく線量限度を年間1mSvとしたのだろうか?この線量は、自然放射線量(世界平均で2.4mSv)の半分以下、世界の多くのバックグランドの高い地域における自然放射線量の1%にも満たない値である。そして世界中の国々はなぜ年間何千億ドルも費やして、この基準を維持しようとしているのだろうか?
ここで、考えられる理由は以下の通り。
- 第二次世界大戦の終わりに広島と長崎に投下された原子爆弾による惨状と生命の損に対する心理的反応
- 一般市民の核兵器に対する恐怖心につけこむ、冷戦時の心理
- 化石燃料(石油、石炭など)産業界のロビー活動
- 研究を認めてもらい、予算を得ようと奮闘している放射線研究者たちの利害関心
- (1970年代にはアメリカにおいて、また1980年代と1990年代には東西ヨーロッパと旧ソ連において)放射線恐怖症を権力を得るための手ごろな手段と考えていた政治家たちの利害
- 一般大衆の不安をあおって利害を得るニュースメディアの利害
- 放射線とその生物学的影響の間には、線形的でしきい値のない関係が成り立っているという仮説
核兵器は戦争抑止力になると考えられているため、それらを保有している国々は当然、可能な限り放射線やその影響が恐れられることを望んでいる。驚くにはあたらないことだが、たとえば、「核戦争で生ずる放射線によって、すべての人類、いや、すべての生命さえも、死に絶えてしまう可能性がある」、あるいは「200gのプルトニウムで、地球上のすべての人類を殺すことができる」といったような明らかに誤った説であっても、国家安全保障機関がそれについて評価したり、誤りを指摘したりすることはめったにない。
事実はそうではなかった。1945年から1980年までの間に、大気中での核実験は541回行われ、TNT爆薬換算で440メガトン(1.8×1024J)の爆発エネルギーを解放した。これらの爆発の結果、およそ3トンものプルトニウムが地球上にまき散らされたにもかかわらず、私たちはまだ生きていろのである。この影響によって、1945年から1998年にかけて受けた平均個人被ばく線量はおよそ1mSvであり、その期間に受けた自然放射線量の1%にも満たない。
大気中での核実験がもっとも盛んに行われた1961年から1962年にかけて、大気中での核爆発は176回行われ、全部で84メガトンに及んだ。それによって生じた放射性核種の地表でのピークは1964年のことだった。1961年から1964年までの間に降った放射性降下物による平均個人被ばく線量はおよそ0.32mSvだった。
冷戦中のピーク時には世界中の核兵器は50,000個もあって、潜在的な爆発力は全部でおよそ13,000メガトンにも達していたが、この数字は現在までに行われたすべての核実験によって大気中に解放されたエネルギーのたった30倍にすぎない。もしも仮にこれまでに行われた核実験の代わりに、全世界の核兵器を爆発させていたとすると、人々はその結果世界中に降ることになる放射性降下物からおよそ30mSvの平均個人生涯被ばく放射線量を受けることになる。
ホームページに関するご意見・ご感想をこちらまでお寄せ下さい。
メールアドレス:rah@iips.co.jp