広島・長崎の原爆生存者のがん以外の死亡率において明確な線量-応答関係が最近報告されたので、今回初めて放射線医において詳細に調査した。がん以外の原因による死亡率は対照群より低く、また登録後の経過時間による変動もあまりない(表4、5)。循環器系と呼吸器系の疾患による死亡率については、最も被ばくを受けた1921年以前の放射線科医を含めて、上昇は見られない。
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最近の調査での原爆生存者の被ばくによるがん以外の死亡率の増加は、偶然ではないだろうが生物学的メカニズムは依然不明である。他に2つの大きな調査で放射線被ばくとがん以外の死因との関係が最近報告されている。1つは、乳がんの放射線治療において乳がん以外の原因による年間死亡率の統計的に有意な増加の報告である。その増加は照射後10年以上を必要とし、主に血管系の疾患による死亡である。数ヶ国の原子力産業従事者の合同解析では、mGyレベルの比較的少量の放射線被ばくではあるが、線量が増加するに従い循環器系の疾患の増加傾向が報告されている。
放射線科医の調査のどれも個人の被ばく線量の情報が欠けている。このために放射線科医の線量-応答関係の推定も他の放射線被ばく調査で得られたリスク評価との比較もできない。しかし、放射線科医の年間被ばく線量の推定を試みた報告もある。1920年代および1930年代の放射線医は年間100レントゲン(大まかには1Svまたは1Gy相当)被ばくしていたと見積もられている。1950年代以前は年間0.1Sv、1950年代初頭はおそらく0.05Svとの見積もりもある。NRPB(National
Radiological Protection Board)は平均年線量を推定しており、1964年までには5mSv未満、1993年までには0.5mSvまで減少したとしている。
表6のリスク評価はこれらの線量推定値を用い、平均35歳で放射線科医になり平均20年間被ばくしたと推定して、原爆生存者のデータから予測したものと観察値を比較したものである。これによると放射線科医のがんのリスク4グループとも予測値より低いことがわかる。1955年以前の登録医では、推定値に比べると1/2-1/7に過ぎない。この理由としてはいくつか考えられるが、健康労働者効果以外にも、断続的な被ばくは1回被ばくに比べて白血病以外のがんリスクは半分になるという証拠もある。これらの要因を考慮すると、推定SMRは1897-1920年で4.8、1921-1935年で1.7、1936-1954年では1.2、1955-1979年では1.02となる。
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循環器系の病気とがん以外の病気全体のSMRの観察値はどのグループも小さく、原爆生存者のリスクに基づく予測と矛盾する。一方がんリスクでは初期の放射線科医は臨床医と比較して75%も上まっている。原爆生存者のデータでは、がんリスクで75%の増加を示すような線量では、がん以外の病気による死亡は35%の増加になっている。しかしながら、今回の1920年以前の登録医での結果は(がんリスクで75%増加を示しているにもかかわらず)がん以外の病気による死亡は(臨床医に比較して)逆に10%の低下を示している。
結論として、登録して40年以上経過後のがん死亡リスクの増加は1921-1935年と1936-1954年に初めて登録した放射線科医の長期被ばくの影響だと思われる。一方、被ばく線量が低かったであろう、1955年以降に登録した放射線科医の間ではリスクが増加した証拠はない。がん以外の病気による死亡リスクは1920年以前の登録医を含めて増加した証拠はなかった。
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