平成11年9月30日に起こったJCO社の臨界事故では、作業者3名が大量被ばくをし、大変残念なことに、そのうち2名が重度の放射線障害で亡くなりました。3名の被ばく量は、それぞれ、約 18、10、および2.5 等価グレイと報告されましたが、はじめの2名の被ばく量は、過去の事例からも生存は極めて難しいと考えられるレベルでした。3人目の被ばく量は生命には別状ないと考えられるレベルであり、実際にこの方は、事故から82日目に無事退院することができました。しかし、その3人目の方も、大量の被ばくをしたのは事実ですから、「将来放射線障害が出る心配はないのか?」という疑問を多くの方が持つのではないでしょうか。こうした疑問に答えるため、かつて米国で臨界事故に遭遇し、生き残った人々がその後どうなったかということを、2つの事例で紹介します。

 

1.ロス・アラモスの臨界事故生存者の例

 1946年5月21日、米国ロス・アラモス研究所で、研究グループのリーダーが、7人の仲間を前に、手作業による臨界模擬実験を行なって見せていたところ、誤って実際に臨界にしてしまいました。臨界は直ちに停止することができましたが、全員が被ばくをし、リーダーは急性放射線症で9日後に死亡しました。他の7名も病院に収容されましたが、幸い4日から2週間後には退院することができました。なお、ロス・アラモス研究所では、この事故を契機に、手作業による臨界実験は禁止され、遠隔操作で実験を行なうようになりました。

 この臨界事故で被ばくした7名については、その後約30年にわたり、健康状態の追跡調査が行なわれました。途中で亡くなった人もいますが、その調査報告の概要を表1に示します。

 

表1 1946年のロス・アラモス臨界事故の生存者

作業者
事故時年齢
被ばく量
グレイ
入院
32年後(1978年)の調査結果
A
34
1.92
2週間
1966年、登山中に心臓発作で死亡(54歳)
B
26
(0.85)
2週間
(1984年の情報では64歳で健康)
C
54
0.62
2週間
1975年に心臓発作で死亡(83歳)
D
21
0.42
4日
1952年に朝鮮戦争で戦死(27歳)
E
23
0.16
4日
1964年に急性白血病になり翌年死亡(42歳)
F
36
0.12
4日
1974年に研究所副所長を引退。68歳で健康
G
23
0.09
4日
55歳で健康、研究所勤務中

 


ロス・アラモス臨界事故の現場再現写真

 

 生存者のうち最も高い被ばく(1.92グレイ)を受けたAさんは、事故の数時間後に一度嘔吐し、その後白血球の一時的な減少など被ばく特有の症状が見られましたが、15日目には退院できました。頭髪の一部の脱落が見られましたが、1月後には再び毛が生えはじめました。10週間後には物理学者としての通常の仕事に戻りましたが、約半年間は疲れやすさが残ったということです。しかし、その後体力は回復し、山スキーを楽しむなど、活動的な生活に戻りました。事故後4年8ケ月後には健康な男児をもうけています。Aさんは、もともと高血圧気味で、40歳代中頃に心筋梗塞で倒れましたが、その後回復しました。しかし年齢とともに肥満と心臓肥大の傾向が強まり、1966年、登山中に再び心臓発作を起こし54歳で死去しました。

 2番目に高い被ばくを受けたBさんの場合は、若干の体力低下と一時的な白血球数の低下以外には、顕著な症状はなく、2週間後に退院しました。その後転職し健康追跡調査から外れましたが、36年後の1984年(この年64歳)の情報で、ビジネスマンとしてサンフランシスコで活躍中であることが知られています。

 3番目のCさんは、もともと頑強な人で、2週間入院したものの、ほとんど目立った症状は認められず、退院2日後には職場に復帰しました。山歩きが趣味で、その後25年以上健康で活動的な生活を送っていましたが、1975年に心臓病で亡くなりました(83歳)。

 警備員のDさんは、入院はしたものの目立った症状は認められず4日で退院しました。しかしDさんはそれから6年後、朝鮮戦争で戦死しました。

 被ばくが最も軽いEさん、Fさん、Gさんの3名も、何の症状も認められず4日目に退院しました。この3人のうち、Fさんは後年ロス・アラモス研究所の副所長になり、引退後も長らく元気でしたが、1998年12月に88歳で亡くなりました。Gさんは1996年の時点(73歳)でなお健在であることが知られています。しかし、ロス・アラモス研究所を離れ、その後企業の役員として活躍していたEさんは、事故から18年後の1964年に急性白血病になり、翌年42歳で死去しました。

    

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