19世紀の末に電離放射線と放射能が発見されて以来、社会的な認識は拒絶と熱烈な受容の間で変化してきた。これは、
- 医学的応用、技術的・科学的目的での有用性
- 低レベルのものの有益効果
- 高レベルの場合の害
の3つの基本的側面の認識から発生している。20世紀の前半には受容が支配的であったが、後半には拒絶が支配的になった。第2次世界大戦後に急に起こってきた社会的風潮の変化は、放射線の新たな危険が発見されたことによるものではなく、放射線の実際の影響とも関係なく、政治的、社会的な理由から生じたものである(Jaworowski,
1999年)。
電離放射線の医療診断利用への可能性は、その発見の1ヵ月後の1896年1月にネイチャー誌上で彼の妻の手のエックス線写真の発表によりW.K.レントゲンによって初めて示された。1902年には、ピエール・キューリーが、C.BalthazardとV.
Bonchardの2人の医師と共同で、ラジウム光線ががんの治療に役立つことを発見した。この治療法の理論的な根拠が、ラットの実験結果として最初にBergonieとTribondeauによって1906年に与えられた。彼らは、次の法則を作り出した:「エックス線は、再生活動の盛んな細胞に一層大きい効果を持つ」。この法則から、彼らは、多分楽観的過ぎたかもしれないが、「レントゲン線は健康な組織を破壊することなく、腫瘍を破壊する」ことが容易に理解できるという結論を導き出した。
電離放射線の低線量照射の有益な効果またはホルミシス効果がレントゲン線発見の2年後に発見され、またA.H. Beckerelは独立に電離放射線の発見を発表した。藻類におけるそのような効果は1898年、アトキンソンによって初めて報告された。彼は、エックス線に曝された青緑色藻類の生育が促進されることを発見した。この発見に続いて、ホルミシス効果に関する何千という発表が続いた。同様の発表が繰り返し行われ、82年後に確認された(Conterその他、1980年)。
電離放射線は人間にとって有害であるということは、1896年に初めてドイツの医学週刊誌(German Medical Weekly:Marcuse,
1896年)に発表された。放射線に関する初期の研究者や使用者たちは自ら進んで、あるいは無意識のうちに高い放射線照射に身をさらしていた。放射線や放射能の開拓者の間では、23ヶ国の科学者、物理学者、医者、看護婦、エックス線技術者など100名が1922年までに、また、406人が1992年までに放射線に関係すると考えられる障害によって死亡している。最初の電離放射線の犠牲者は1900年に発生し、F.
Clausenというドイツのエンジニアであった。放射線の犠牲者の名前は、1992年にベルリンで発行された「全世界レントゲン学者顕彰書」(Molineusその他、1992年)に記録されている。このような経験が警鐘を鳴らすこととなり、高線量放射線に対する防護の必要性が早くから認識されてきた。
1920年には「耐容線量」の概念が導入され、皮膚に紅斑を生じる線量の何分の1かで定義された。この分量は現在の単位でいうと、当初、年間線量700mSvに相当していた。この値は、1936年には350mSvに、また1941年には70mSvに低減された。耐容線量の概念は実質的にしきい値を表すものであり、国際放射線防護委員会(ICRP)が直線しきい値なし原則(LNT)(ICRP,
1959年)に基づいて勧告を行った1959年までの30年間にわたって(Kathren, 1996年)、放射線防護基準の根拠を提供してきた。人間のつくった電離放射線による人間の遺伝子への悲惨な影響に対する関心が1950年代に高まったことによって、放射線防護へのLNT原則の導入の刺激となった。当時の電離放射線の文献では、遺伝学者の次のような説明がしばしば行われていた:「人間による間違いが、歴史上かつてなく悲惨な影響を持ち得る段階になってしまった。人間による間違いが人間の生物学的進化に決定的な変更を与える可能性があるからである(Westergard,
1955年)」。このようなことは、人道主義者による文献にも危険なものとして現れている。例えば、「放射性降下物による突然変異が増加し、遺伝子的に欠陥を持った人間の生存者の増加につれて、消極的優生学がますます緊急な課題となってきた(Huxley、1964年)」というような記述である。特にその後、広島、長崎への原爆投下攻撃の生存者の子孫の観察から、このような懸念は核戦争の脅威によって引き起こされた、強い感情的な反応と呼応した過剰反応であることが明確になった。しかしながら、感情に基づいて法令を制定するのはよくないことだ。法令制定の根拠としてLNT原則を使用することについて、ICRP第4委員会の委員長であったW.V.
Mayneordは、次のようにコメントしている:「高線量で線量に比例した影響が観測されるからといって、いかに低線量であっても何らかの影響が必ずあるというような議論はばかげていると常々感じていた(Mayneord,
1964年)。」ICRP勧告に適用された値に関するMayneordの懸念は、「人の関心を引くような数値的外見をしてはいるが、生物学的・医学的な根拠の薄弱さ」であった。
過去数10年間、放射線防護基準に適用される線量レベルはどんどん小さな値になっていく傾向があった。1980年代、1990年代には、その数値は職業上の被ばくについては年間20mSv、公衆については1mSvになった。放射線源から直接的な利益を受けることのない場合の公衆については、最大線量年間0.3mSv(Clarke,
1999年)が、またある場合には年間0.01mSvの除外レベル(Becker、1998年)が最近提案されている。1920年代、1930年代にICRPが設定した基準が実施されて以来、百倍も千倍も高い線量レベルでありながら放射線による明確な被害者がいないのだから、このような低水準を正当化することは考えがたいことである(Taylor,
1980年)(CoursantとPellerin, 1999年)。広島、長崎の原爆被ばくの生存者の平均寿命は、対照グループの平均寿命よりも長く(Kondo,
1993年)、生存者の子孫に遺伝子の悪影響は見られなかった(Schull, 1998年)。現行の放射線防護基準よりもはるかに高い線量を職業として、あるいは医療上、または自然環境から被ばくした人々の低線量被ばくの有益な効果の証拠は多い(Tubiana、1998年;表1参照)。
表1:低線量(1−500mSv)を被ばくした大規模集団の死亡率
高バックグラウンド地域、米国 |
15%
|
低い
|
C*
|
(FrigerioとStowe, 1976年)
|
高バックグラウンド地域、中国 |
15%
|
低い
|
C
|
(Wei, 1990年)
|
原子力産業従業者、カナダ |
68%
|
低い
|
L
|
(Gribbin他, 1992年)
|
原子力船造船所従業者、米国 |
24%
58%
|
低い
|
A
L
|
(Mantanoski, 1991年)
|
原子力関係従業者、米国のハンフォード、ORNL、ロッキー・フラットの合計 |
9%
78%
|
低い
|
C
L
|
(Gilbert他, 1993年)
|
英国放射線科医1955年-1979年 |
32%
29%
36%
|
低い
|
A
C
NC
|
(Berrington他, 2001年)
|
プルトニウム関係従業者、ロシア、東ウラルのマヤク |
29%
|
低い
|
L
|
(Tokarskaya, 1997年)
|
室内の高ラドン、米国 |
35%
|
低い
|
LC
|
(Cohen, 1995年)
|
ロシア、東ウラルの事故 |
39%
|
低い
|
C
|
(KostyuchenkoとKrestinina, 1994年)
|
チェルノブイリ事故、復旧作業従事者 |
13%
15%
|
低い
|
C
A
|
(Ivanov他, 2001年)
|
ヨウ素131**での診断を受けたスウェーデンの患者 |
38%
|
低い
|
C
|
(Hall他, 1996年)
|
A=全原因; C=がん; L=白血病; NC=非がん; LC=肺がん;
*発生率 **甲状腺線量 0-257,000mGy
そのような低線量限度を含む基準に基づいた規則にこだわるために、社会は何千億ドルもの費用を支払っているがなんの利益もない。現在の規制を施行することによって仮想的に救われている一人の人間の命には、25億ドルのコストがかかっている(Cohen、1992年)。このような費用負担は道徳的に疑問である:というのは、
- 社会の限られた資源が真の健康増進に資することなく、仮想的な傷害を防ぐために費やされている
- 低線量被ばくは個人に対して有益である
このふたつの理由により、このような費用負担は実際には人々に対して悪い影響を与えているかもしれない。 この論文では、天然プロセスおよび人間活動の影響を受けている、いろいろな環境条件下における放射能と放射線のレベルについて比較する。そのような比較をすれば、現実的な観点から放射線基準を見ることができるだろう。
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