各種疾患に対する予防・治療への
低線量放射線の応用の可能性

 これまで述べてきたように、低線量放射線に対する生体適応応答の一つとして、組織の抗酸化機能が活性化されるという実験的結果を紹介してきた。これに基づき、以下、この作用を活性酸素種がその発症あるいは進展に関与すると考えられている種々の疾患の予防や治療に用いることの可能性について、筆者らのグループが行った動物実験モデルから探ってみる。


1)肝臓障害(脂肪肝)に対する作用

 低線量放射線によりマウス肝臓で、GSHのみならず抗酸化酵素が誘導されることが、すでに明らかとなっている。そこで、四塩化炭素(CCl4)を用い、肝臓障害(脂肪肝)モデルを作製し、肝臓障害に対する低線量放射線の作用を検討した。このCCl4は肝細胞ミクロソームで代謝され、ラジカル(CCl3・)となり、細胞膜脂質の過酸化を介して細胞障害性を惹起する。

 あらかじめ、CCl4を投与したマウスに50 cGy のγ線を1回、マウスの全身照射した。はじめCCl4によって脂肪肝状態になって黄色くみえた肝臓は、γ線照射後3日目で肝臓に赤みが戻ってきているのが観察できた。これに対し、照射を行わなかったマウスの肝臓は、依然として黄色味ががり回復の遅れがみられた。

 図5は、このマウスの肝臓障害の重篤さを表す血清中トランスアミナーゼ(GOT、GPT)活性の変化を示す。これよりCCl4により顕著に高められたGOTおよびGPT活性は、放射線照射により、いずれも有意に抑制された。他の組織障害のマーカーである過酸化脂質をCCl4投与群と比較した場合にも放射線照射群で有意に抑制されることがわかっている。

 

図5 CCl4により肝臓障害を生じたマウスへ低線量γ線を照射した後の血清中トランスアミナーゼ活性の変化

 

2)膵臓障害(糖尿病発症)に対する作用
 マウスにアロキサンという薬剤を投与すると、膵島(膵臓のランゲルハンス島)β細胞が選択的に破壊されてインスリンの分泌が抑制され、インスリン依存型糖尿病状態が誘発される。これは、膵島β細胞のアロキサンに対する反応性が肝細胞や赤血球に比べて高いにもかかわらず、SOD、カタラーゼ、GPXなどの活性が低く、アロキサンから産生される活性酸素の障害を受けやすいためではないかと考えられている。この仮説は、SODや抗酸化剤を事前に投与すると、アロキサンによって誘発される糖尿病発症が軽減されることからも支持される。

 これまでの結果と同様に、低線量放射線の照射によって、膵島β細胞のSOD活性が亢進すれば、アロキサン投与により誘導される糖尿病症状が抑制される可能性がある。そこで、アロキサン投与の2〜3週間前にラットに25〜200 cGy のγ線(60Co)を照射し、血糖値の変化から放射線のアロキサン誘導糖尿病発症に対する作用を検討した例がある(文献10)。アロキサンを投与しない場合、膵臓のSOD活性は、50 cGy および100 cGy では、γ線照射により増加する傾向を示した。しかし、アロキサンを投与すると、50 cGy 照射群を除くすべての群でSOD活性が抑制された。一方、膵臓中の過酸化脂質量はアロキサンを投与すると、照射しない群、25 cGy および200 cGy の各照射群では、アロキサン非投与の場合に比べて過酸化脂質量が増加した。これに対して、50 cGy および100 cGy 照射群では、アロキサン非投与の場合と同じ程度であった。アロキサン非投与のラットの血糖値は、すべての群において200 cGy 以下の線量ではγ線照射の影響を受けなかった。これに対して、アロキサン投与群では、50 cGy 照射群を除き、いずれも約500 mg (1dl中の血糖値)を示した(図6)。インスリン依存型糖尿病では、膵組織重量の低下、β細胞の分泌顆粒の脱落などを生じる。写真1に示すように、非照射でアロキサン非投与のラットの膵島には、アルデヒドフクシンで濃く染色される分泌顆粒で満たされたβ細胞が認められる。アロキサンを投与すると多くのβ細胞が壊死し細胞核が凝縮して、残存するβ細胞でも分泌顆粒が減少していた。これに対して、50 cGy 照射群では、β細胞の壊死に伴う核の濃縮は観察されたが、細胞数・分泌顆粒の減少は、中程度にとどまっていた。以上の観察結果は、アロキサンの産生する活性酸素がもたらすβ細胞の障害が50 cGy のγ線事前照射によりある程度緩和されたことを裏付けるものであろう。

 

図6 アロキサンにより糖尿病状態にしたラットへ低線量γ線を照射した後の血糖値の変化


写真1 アロキサンにより誘導した糖尿病にみる膵島β細胞障害と低線量γ線によるその抑制
a)正常ラット膵臓のβ細胞
b)糖尿病にみられる分泌顆粒の減少(細胞障害)
c)50cGyのγ線事前照射による分泌顆粒減少の抑制

 

 さらに、ヒトのT型糖尿病(インスリン依存型糖尿病)のモデルマウスであるNOD(非肥満性糖尿病)マウスを用いた実験においても、生後13週目に50 cGy のγ線を1回全身照射することにより、通常、本モデルマウスで15週目以降に発生する尿中へのグルコース排泄を顕著に低下させるという結果も筆者らのグループにより得られている。

 以上、いずれのモデル実験においても、低線量の放射線(γ線)の照射により、おのおのの障害が有意に抑制された。これらの抑制効果は、放射線に対する生体の適応応答の結果生じたGSHおよび抗酸化酵素からなる防御機構の誘発現象を利用したものが一因と考察される。発がんをはじめとする種々の放射線による身体的障害や遺伝的障害の発生に基づく線量規制を克服できれば、低線量放射線を種々の活性酸素関連疾患の予防や治療に用いることも可能と考えられるのである。なお、細胞系に着目した研究者は、アポトーシスなどの細胞内情報伝達を観点に低線量放射線照射の有用性について検討し、多くの報告をしている。

    

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