ヒト細胞の核を通過する1個のアルファ粒子が
発がんを誘発する可能性

 

  家庭での低濃度ラドンガスへの被ばくは主な肺がんの環境因子と考えられている。ラドン娘核種からのアルファ粒子による気管支細胞DNAの傷害が関与している。家庭でのラドン被ばくでは、気管支細胞が1個以上のアルファ粒子の通過を受けることは非常にまれである。一方、ウラン鉱山の坑夫などの疫学調査で見られるようなラドンが高濃度の場合には、肺がんリスクがある程度の正確さを持って定量できる。この場合には気管支細胞はしばしば複数のアルファ粒子の通過を受ける。高濃度ラドンの影響から厳密に1個のアルファ粒子が通過するような低濃度ラドン発がん影響を見積もることは難しい。

 荷電粒子マイクロビームを用い、個々の細胞をあらかじめ決めた数のアルファ粒子で通過させて、1個のアルファ粒子の作用を検討した。1個のアルファ粒子が通過した細胞の発がん可能性は複数のアルファ粒子が通過した細胞の可能性より有意に小さい結果となり、発がんに寄与しているのは複数のアルファ粒子が通過した細胞であることが明らかになった。この結果は高濃度ラドンの発がん作用から低濃度ラドンの発がん作用を外挿することはリスクを過大に見積もることになると示唆している。

 はじめに


 家庭におけるラドンガス被ばくは最も大きな自然環境危険因子と見なされている。ラドン娘核種からのアルファ粒子による気管支上皮細胞のDNA傷害が発がんメカニズムとなっている。US科学アカデミーの最新の報告BEIR VIでは全肺がん死亡の10-14%(年間15,400−21,800人)が環境からのラドン被ばくと関連しているとしている。

 このBEIR VIの見積もりは、家庭での被ばくの何倍も大きな被ばくをした地下坑夫のリスクを外挿して求めたものである。このような見積もりの問題点は、高濃度ラドン被ばくの場合には、短時間の間に気管支上皮細胞が数個のアルファ粒子の通過を受けるような被ばくをしているということである。一方普通のラドン濃度での家庭での個人の被ばくでは1つの細胞が生涯の間に1個以上のアルファ粒子の通過を受けることは考えられない。

 研究室の実験でさえも、実験技術上、細胞が複数のアルファ粒子の通過を受けている可能性を排除できないために、厳密に1個のアルファ粒子の通過による発がん影響を正確に見積もることができない。

 近年、荷電粒子のマイクロビームが開発された。これによって培養している細胞それぞれに決まった数のアルファ粒子を細胞核に照射することができ、1個あるいは決められた数のアルファ粒子の通過によって引き起こされる現象を測定できるようになった。しかし、正確な測定のためには多数の細胞(例えば105個の細胞)を照射する必要があるが、これまでの装置では1時間でせいぜい120個の照射が可能であったに過ぎないために、得られたデータの信頼性は低かった。今回開発した装置では1時間に3,000個の照射が可能であり、より正確な信頼の置ける測定が可能となった。ここでは厳密に1個のアルファ粒子の通過にともなう発がんリスクの直接測定の結果を報告する。

 この研究はマイクロビーム照射によって"厳密に1個"のアルファ粒子が通過した場合と、ブロードビーム照射によって"ポアソン平均で1個"のアルファ粒子が細胞を通過した場合(この場合には1個以上のアルファ粒子が通過する細胞がポアソン分布にしたがって存在する)の発がん作用が同じかどうかを明らかにすることが目的である。厳密に1個の通過であるか、統計的に1個(平均ではない)の通過であるかは重要な問題である。例えば厳密に4個の通過とポアソン平均4個の通過では作用に違いがあるとは思えない。[ポアソン平均4個の場合には実際には3個や5個のアルファ粒子が通過する細胞があるのだが、作用として平均すると、厳密に4個の粒子が通過した場合と同じようになるだろう。つまり3個と4個、4個と5個の通過の違いは単に量的な問題となると考えられるからだ]したがってこのような比較をポジティブコントロールとして用いた。こうして複数個のアルファ粒子が通過する場合には差異がないことをポジティブコントロールとして確認しながらおこなう限り、厳密に1個の通過とポアソン平均1個の通過を比較して、もし違いが見られるなら、それは実験上の誤差やミスではなく明らかに有意な差があることを示す。

 実 験


マイクロビーム照射
厳密な数のアルファ粒子を細胞に照射できる。アルファ粒子エネルギーは5.3MeV(LET: 90keV/マイクロm、Rn-222から放出されるアルファ粒子と同じエネルギーレベル)260,000個の細胞に照射し、最終的に110,000個の細胞の発がん可能性を評価した。

ブロードビーム照射
ポアソン分布にしたがった数のアルファ粒子を細胞に照射できる。5.3MeVアルファ粒子を最終的なフルエンスが得られるようにディッシュ全体に照射してゆく。500,000個の細胞を分析した。

発がん性の評価
照射後7週間培養し、発生するタイプIIとタイプIIIの変異細胞集団の数(変異細胞発生頻度、変異頻度)を計測する。

 結果と考察


 図1はマイクロビーム照射のターゲットとなる細胞の蛍光顕微鏡像。図2は異なる数のアルファ粒子を照射した場合のマイクロビーム照射とブロードビーム照射の結果の比較。照射しない場合(個数=0)の変異頻度は有意差なく、同じと考えられる(p=0.28)。照射個数が複数(2、4、8個)の場合にはマイクロビーム照射とブロードビーム照射で得られる変異頻度は等しく、先に述べたように照射線量や細胞の取り扱いがこの二種類の照射でほぼ同等であることが確認できる。このことを前提に、アルファ粒子個数が1個の場合の結果を見ると有意な差が認められる。図3ではアルファ粒子個数1個の場合の結果を詳細に示した。

図1 マイクロビームターゲット ポリプロピレン製培養ディッシュ表面に培養されているC3H10T1/2細胞が、自動マイクロビーム画像システムによってモニターされている。赤く見えるのが細胞の全体、その中の細胞核はヘキスト33,342で薄い青色に染色されている。これらの細胞核の位置を事前に×印でマークしておくと、決められた数のアルファ粒子が自動的にこれら×印の位置に順次照射される。(バーの長さ:7マイクロm)

 

図2 5.3MeVアルファ粒子の通過による変異細胞の発生頻度
▼印:厳密な数のアルファ粒子の照射
●印:ポアソン平均数のアルファ粒子の照射

 

図3 厳密に1個、あるいはポアソン平均1個のアルファ粒子の通過による変異細胞の発生頻度


 マイクロビーム照射による"厳密に1個"の場合の粒子の通過個数はもちろん100%の細胞で1個だが、ブロードビーム照射による"ポアソン平均1個"の場合には74%の細胞で1個だが26%の細胞では2個以上の粒子が通過している。変異頻度はそれぞれ1.2と3.1であり、差は統計的に有意だった(p=0.02)。つまり"厳密に1個"通過した場合はコントロール(個数=0)とは差がないが、複数個の粒子の通過が混在している場合よりは有意に少ないことが明らかになった。この差は2個以上の粒子が通過した26%の細胞によって生じていると考えられる。

 低線量被ばくの疫学的には十分な正確さを持っては評価できないために、ウラン坑夫の高線量被ばく疫学データからの外挿でおこなっているのが現状だ。ここで示したように、もし厳密に1個のアルファ粒子の通過では細胞変異が増加しないなら、変異細胞が生じるには複数個のアルファ粒子の通過が必要だということになり、家庭における日常のラドンリスクの評価に重大な意味をもつことになるだろう。というのは家庭でのラドン被ばくは、気管支上皮細胞では生涯にわたって1個を超えることはないからだ。つまりこれまでおこなってきた家庭のラドンリスクの見積もりは、深刻な過大評価である可能性がある。

 ここではマウス繊維芽細胞C3H10T1/2細胞を用いた結果を報告したが、これはヒト細胞では同様な結果が得られないためではなく、放射線による細胞変異を計測する適切な実験系がヒト細胞では確立されていないためである。したがってここで得られた結果はまだヒト細胞では確認されていないということにも留意しておく必要がある。

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