論文4に対するコメント

低線量放射線:
しきい値、バイスタンダー効果、適応応答

 


 
電離放射線は宇宙を飛び交っている。電離能を持つ粒子や放射線は毎日我々の体を作っている100兆個の1%に相当する細胞の中の生体分子に衝突している。この衝突は一群の活性酸素を生成しDNAを含む細胞成分に傷害を与えている。ある種の放射線はこの活性酸素を効率よく発生する。1個のアルファ粒子はガンマ線よりも少なくとも10倍も傷害作用が大きい。この考え方からSvという単位が生まれた。この単位で考えると、自然放射線は0.01mSv/日となり、地球上にはこの5倍も高い地域もある。また宇宙空間では1mSv/日の被ばくをすると考えられている。一方高線量被ばくとして、150mSvを超える線量の急性被ばくでは、測定できるような深刻な被害が起こることがある。自然放射線と150mSvとの間を低線量放射線と呼ぶ。低線量放射線被ばくはヒトにはすぐに分かるような影響は及ぼさないが、長期的には被ばく者自身のがんやその子孫の遺伝的影響を引き起こす可能性があり、大きな関心が寄せられている。

 低線量の放射線被ばくの生体影響の研究は細胞内の変化を検出するだけの感度をもつ測定法がないために進まなかった。より感度の良い測定法が開発されているが、その中でも重要な測定法は、最も危険なDNA傷害であるDNA二本鎖切断の検出である。この測定法は細胞核の中でDNAを取り囲んでクロマチンに折り畳む役割を果たすヒストンというたんぱく質(H2AXと名付けられている)がDNAの二本鎖切断が起こった場所でリン酸化されるという発見に基づいている(図)。このリン酸化反応は、非常に速やかに起こり、増幅される。数分の間にDSBが起こった場所の近傍の数メガ塩基分の長さのクロマチンの何千個ものヒストン分子がリン酸化され、リン酸化ヒストン集合体ができる。このリン酸化したヒストン(γ-H2AX)に対する抗体(抗体に蛍光標識したもの)を用いると顕微鏡下で見ることができる。このリン酸化ヒストンの集合体がDSB修復と再結合にどのように働いているのかは良く分かっていないが、DNA修復酵素をDSBの場所まで到達するのを助ける役割を果たしていることは確かだ。リン酸化ヒストンの集合体は通常の細胞でもDSBが発生する場合に生成し、生殖細胞の減数分裂の際の相同的再結合や免疫細胞での遺伝子組み換えの過程などで見られる。ヒストンH2AXを欠損しているマウスは生存するが、この2つの機能が欠損し、同時に電離放射線に対して非常に弱い。



IMR90細胞でのγ-H2AXの生成
それぞれの線量でガンマ線照射し、15分後に検出した。

 1mGyの被ばくで約3%の細胞にDNAの二本鎖切断DSBを生じる。エネルギー代謝にともなうDSB の発生に比べて、放射線被ばくにより発生するDSBの種類は不均一である。修復が容易なDSBも、修復が不可能なDSBも生じる。この不均一さは、電離放射線によって生じる活性酸素の集合体(クラスター)からいろいろなフリーラジカルが近傍に発生して、DNAがランダムに傷害をうけるために起こる。このような局所的にまとまったDNA傷害の中の約20%がDSBである。その他は一本鎖切断、塩基置換そしてデオキシリボース骨格の傷害などである。DSBは他のDNA傷害より2つの理由でより致命的であり、突然変異が起こりやすい。1)両方のDNA鎖を失うと遺伝情報が失われるために、正確な修復が難しくなる。2)また細胞分裂に際して正しい遺伝情報の伝達が難しくなる。

 直接に測定されたデータがないために、低線量被ばくの影響は日本の原爆生存者や、ウラン坑夫、ラジウム塗装者、原子力潜水艦造船所従業員などの高線量被ばくからの外挿によって求められている。これらのデータはしかし、条件が制御されていないことや不十分な線量計測などのために不確かな要素が多い。このような外挿はしきい値なし直線仮説をもとにして行われている。直線仮説では、低線量放射線被ばくも高線量被ばくも同じ危険性(単位Gy当たりのリスク)があると仮定している。したがってどんなに少ない線量でも危険であると結論される。この考え方によって過度の安全側に偏った規制が行われ、不必要な出費を強いられているという批判もある。しかしながら、低線量被ばくの生物影響はこのような直線仮説もでるから推測されるものよりはるかに複雑であるし、データの中にはそれに反するものもある。

 一つある線量以下では害がないとするはしきい値モデルである。主に原爆生存者の寿命調査データでは、ある場合には線量とリスクに直線関係があるが、60mSvのしきい値も見られる。

 他に適応応答モデルでは、ある線量ではむしろ有益であるとする。多くは1-100mSvのガンマ線被ばくによってこの効果は見られる。この線量は自然放射線の0.01mSv/日の100−10000倍の大きさである。このモデルは1984年に低濃度の放射性トリチウム-チミジンを含む培地で培養した細胞では、その後の高線量被ばくによって生成する染色体異常が少ないという結果を説明するために導入された。

 また他にバイスタンダーモデルがある。これは低線量被ばくは高線量被ばくから直線仮説に基づいて推測されるよりもリスクが大きいとするものである。例えば1%の細胞だけがアルファ粒子の通過を受けるように被ばくした場合でも、30%以上の細胞にSCE(娘染色分体交換)と呼ばれる染色体異常が見られる。この作用は被ばくした細胞が、細胞間の接触か放出因子によって、シグナルを他の細胞に伝達するためにおこると考えられている。後者の可能性は、被ばく細胞を培養した培地で被ばくしていない細胞を培養することで同じ影響を得ることができるという実験で支持されている。シグナル候補のひとつはインターロイキン8である。

 この中で適応応答とバイスタンダー効果は同じ実験の中で同時に見ることができる。C3H10T1/2細胞を決められた数のアルファ粒子で貫通すると生存率は65%となり直線仮説から推測される90%よりはるかに小さくなる(バイスタンダー効果)。しかし、アルファ粒子被ばくの6時間前に20mGyのガンマ線で照射しておくと、生存率は75%に上昇する(適応応答)。バイスタンダー効果は普通アルファ粒子などのような傷害の大きな放射線に見られるが、適応応答はγ線に見られる。

 このように低線量の生体影響には、様々な現象が見られる。 ますます人工放射線源が増加し、宇宙空間での滞在が実現しつつあり、低線量被ばくの生物学的な詳細の理解はますます重要になっている。もし自然放射線の100倍でも害がない(しきい値モデル)、あるいは有益である(適応応答モデル)となれば、被ばく基準は緩められるだろうし、大きな節約になる。加えて、もしこのような被ばくに対して正常細胞とがん細胞が異なる応答をするなら、適応応答とバイスタンダー効果が有用な方法となるだろう。しかしメカニズムが解明されない限り、基準が緩和されることはあり得ない。Rothkammらの報告は低線量被ばくの研究を前進させるのに大きな寄与をするだろう。

 参考文献

 

1
Riley, P. A. (1994) Int. J. Radiat. Biol. 65, 27-33.
2
Wei, L., Zha, Y., Tao, Z., He, W., Chen, D.,Yuan, Y. & Zhao, R. (1996) in High Background Radiation Research in Yangjiang, China (Atomic Energy Press, Beijing).
3
Lyndon B. Johnson Space Center (2002) NASA Factsheet: Understanding Space Radiation, FS- 2002-10-080-JSC,
4
National Council on Radiation Protection (1991) Guidance on Radiation Received in Space Activities: Report 98 (Natl. Council Radiat. Prot., Bethesda, MD).
5
Redon, C., Pilch, D., Rogakou, E., Sedelnikova, O., Newrock, K. & Bonner, W. (2002) Curr. Opin. Genet. Dev. 12, 162-169.
6
Rogakou, E. P., Pilch, D. R., Orr, A. H., Ivanova, V. S. & Bonner, W. M. (1998) J. Biol. Chem. 273, 5858-5868.
7
Rogakou, E. P., Boon, C., Redon, C. & Bonner, W. M. (1999) J. Cell Biol. 146, 905-916.
8
Mannironi, C., Bonner, W. M. & Hatch, C. L. (1989) Nucleic Acids Res. 17, 9113-9126.
9
Rothkamm, K. & Loャbrich, M. (2003) Proc. Natl. Acad. Sci. USA 100, 5057-5062.
10
Sedelnikova, O. A., Panuytin, I. G. & Bonner, W. M. (2002) Radiat. Res. 158, 486-492.
11
Paull, T. T., Rogakou, E. P., Yamazaki, V., Kirchgessner, C. U., Gellert, M. & Bonner, W. M. (2000) Curr. Biol. 10, 886-895.
12
Chen, H. T., Bhandoola, A., Difilippantonio, M. J., Zhu, J., Brown, M. J., Tia, X., Rogakou, E. P., Brotz, T., Bonner, W. M., Ried, T. & Nussenzweig, A. (2000) Science 290, 1962-1964.
13
Mahadevaian, S. K., Turner, J. M. A., Rogakou, E. P., Baudat, F., Blanco-Rodrォguez, J., Jasin, M., Bonner, W. M. & Burgoyne, P. S. (2001) Nat. Genet. 27, 271-276.
14
Petersen, S., Casellas, R., Reina-San-Martin, B., Chen, H. T., Difilippantonio, M. J., Wilson, P. C., Hanitsch, L., Celeste, A., Muramatsu, M., Pilch, D. R., et al. (2001) Nature 414, 660-665.
15
Celeste, A., Petersen, S., Romanienko, P. J., Fernandez-Capetillo, O., Chen, H. T., Reina- San-Martin, B., Meffre, E., Difilippantonio, M. J., Sedelnikova, O. A., Redon, C., et al. (2002) Science 296, 922-927.
16
Ward, J. F. (1994) Int. J. Radiat. Biol. 66, 427-432.
17
Sutherland, B. M., Bennett, P. V., Sidorkina, O. & Laval, J. (2000) Biochemistry 39, 8026-8031.
18
Sutherland, B. M., Bennett, P. V., Sidorkina, O. & Laval, J. (2000) Proc. Natl. Acad. Sci. USA 97, 103-108.
19
National Council on Radiation Protection (1993) Limitation of Exposure to Ionizing Radiation: Report 116 (Natl. Council Radiat. Prot., Bethesda, MD).
20
Pierce, D. A. & Preston, D. L. (2000) Radiat. Res. 154, 176-186.
21
Little, M. P. & Muirhead, C. R. (2000) Int. J. Radiat. Biol. 76, 939-953.
22
Olivieri, G., Bodycote, J. & Wolff, S. (1984) Science 223, 594-597.
23
Azzam, E. I., Raaphorst, G. P. & Mitchel, R. E. J. (1994) Radiat. Res. 138, S28-S31.
24
Azzam, E. I., de Toledo, S. M., Raaphorst, G. P. & Mitchel, R. E. J. (1996) Radiat. Res. 146, 369-373.
25
Mitchel, R. E. J., Gragtmans, N. J. & Morrison, D. P. (1990) Radiat. Res. 121, 180-186.
26
Mitchel, R. E. J., Jackson, J. S., McCann, R. A. & Boreham, D. R. (1999) Radiat. Res. 152, 273-279.
27
Nagasawa, H. & Little, J. B. (1992) Cancer Res. 52, 6394-6396.
28
Deshpande, A., Goodwin, E. H., Bailey, S. M., Marrone, B. L. & Lehnert, B. E. (1996) Radiat. Res. 145, 260-267.
29
Azzam, E. I., de Toledo, S. M.&Little, J. B. (2001) Proc. Natl. Acad. Sci. USA 98, 473-478.
30
Sawant, S. G., Randers-Pehrson, G., Geard, C. R., Brenner, D. J.&Hall, E. J. (2001) Radiat. Res. 155, 397-401.
31
Zhou, H., Suzuki, M., Randers-Pehrson, G., Vannais, D., Chen, G., Trosko, J. E., Waldren, C. A. & Hei, T. K. (2001) Proc. Natl. Acad. Sci. USA 98, 14410-14415.
32
Mothersill, C. & Seymour, C. (1998) Radiat. Res. 149, 256-262.
33
Mothersill, C. & Seymour, C. (2001) Radiat. Res. 155, 759-767.
34
Narayanan, P., LaRue, K. E. A., Goodwin, E. H. & Lehnert, B. E. (1999) Radiat. Res. 152, 57-63.
35
Sawant, S. G., Randers-Pehrson, G., Metting, N. F. & Hall, E. J. (2001) Radiat. Res. 156, 177-180.


ホームページに関するご意見・ご感想をこちらまでお寄せ下さい。
メールアドレス:rah@iips.co.jp