パネルディスカッション

佐 渡
はじめに、田ノ岡氏と、神谷氏に話題提供をお願いします。
田ノ岡
DDREF(線量・線量率効果係数)の値が2くらいであるとのことですが、2というのは10の2乗のことですか。特に内部被曝では明確なしきい値があり、DDREFは高いはずで、私は低線量は大丈夫(安全)という印象をもっている。
神 谷

野村先生の発表ではDDREFの値が明確になった。特にマウスの種類や臓器でその値が異なることは重要だ。ここで広島での原爆被爆生存者のデータについての最近明らかになったことを述べたいと思う。

白血病は被ばく後早い時期に起こり、一方固形がんは非常に長い時間を要するというのが一般的な見方だ。しかし、被ばく生存者の中でのMDSという白血病前がん病変は1990年代になってもまだ有意に高く、潜伏期の長い白血病が示唆される。 MDSはAML1(二次造血に必須の転写因子の遺伝子で、白血病患者では約25%に転座が見られる)変異に基づくがんの前駆状態。AML1の変異(点変異)は対照群の2.7%に対して、被ばく者(生存者)の46%に見られる。 またこの遺伝子の変異は爆心地周辺よりもむしろ離れた場所の方が多く見受けられる。また、長い潜伏期をもつ白血病患者では点変異が多く見られる。

高線量(率)と低線量(率)で突然変異の種類が異なる可能性があり、それを見る必要がある。さらに発がんメカニズムや修復メカニズムも異なる可能性がある。これらのことを解明していくことが重要。またこのメカニズムとして放射線発がんの間接機構が問題になってくる可能性もある。

丹 羽
間接機構に関しては、LETの高低に関係なくα線でもγ線でもバイスタンダー効果(bystander effect)の場合には点変異が見られるということがわかっている。
野 村
低線量になると活性酸素(ROS)による変異のレベルになるかも知れない。また自然レベルの放射線による変異との比較も必要だろう。
佐 渡
あるレベル以下では影響は出ないだろう。
田ノ岡
かつてフィンケルが内部被曝でのしきい値の存在を明らかにするが、ポーリングの反論で立ち消えになる。
野 村
(田ノ岡氏のいうように)内部被ばくでは必ずしきい値がある、というのは間違い。直線的な(線量-作用の関係の)ものもある。そして外部被ばくだからDDREFが2だという訳ではない。
田ノ岡
私の示す内部被曝はα線や高LETのデータである。
神 谷
内部被ばくと外部被ばくの差異については、(財)原子力安全研究協会で行った信頼できるデータとしてラットの甲状腺がんのデータがある。そこではヨウ素-131(内部被ばく)とX線(外部被ばく)を用いた場合を比較しているが、結果は差がなかった。
会 場
新しいICRP勧告のための改定案が検討されている。クラーク委員長は1〜10mSv/年の線量域をノーマルバンドとして捉えようとしている。自然放射線レベルの放射線を基準にしようとしているが、そうなると自然放射線レベルの放射線の生体影響を考えなければならないと思うが。
佐 渡
マラーが1936年に初めて、自然放射線は自然に起こる突然変異に寄与していないといった。私はこの説に賛成。
田ノ岡
自然放射線による活性酸素の生成量は、代謝による生成量の約1/100と見積もられている。
会 場
防護の基準に関して自然放射線の何倍にというような議論をするなら、そのようなレベルでの生体影響の定量化が必要になる。しかし、実際にはどれくらいの線量でどれくらいの細胞がどれくらいの作用を受ける、というような定量はできていない。
丹 羽
いや、それはわかっている。低LET(γ線などの場合)、例えば1mSv/年 の照射により、生体内の1つの細胞が受ける作用は、1track/細胞/年(ある一つの細胞に注目すると1年に1回だけγ線のフォトンが通過する)となる。このような定量化はすでに可能だ。
野 村
しかし、それはあくまでも損傷の定量化であって、それを生体レベルでの(がん化)リスクに結びつけるのは難しい。このような自然放射線レベルでの生体影響(リスク)は、菅原先生がご専門なので先生にお聞きすべきだろう。
菅原(会場より)
(中国の疫学調査で見られたように)少なくとも3倍の自然放射線地域では(がん化に結びつくような)安定型変異は増加はしていない。インドやイランなどのさらに高い自然放射線地域ではどうだろう。どれくらいの自然放射線レベルで変化が現れるかが問題。10倍くらいは大丈夫だろうと思うが、20倍ではどうだろう。しかし、この問題は疫学というより、生物学的に解明するべきだろう。
田ノ岡
(財)電力中央研究所で行っている実験では、自然放射線の約8,000倍(1mGy/年)、年間線量8Gy/年で放射線(γ線)を照射してもがんは発生していない。
会 場
放射線に対する生体の抵抗性の問題が大切。また遺伝子の不安定性などの間接機構の問題はどうか。
佐 渡
生体防御機構の活性化は重要。東京理科大の小島先生は、低線量γ線照射によるグルタチオンの誘導を発表している。
丹 羽
間接機構としてはゲノムの不安定性(genomic instability)とバイスタンダー効果(bystander effect)があるが、現在のこの分野の動向としては、これらを統一的に(ある1つの概念や理論で)説明することが試みられている。ギャップジャンクション(*細胞と細胞が接した時に接触面に形成される通路で、これを通して両細胞間の物質・情報のやりとりが行われる)を介した物質の移動による情報伝達が重要なメカニズムと考えられている。実験的にはこれまで1個α粒子を1個の細胞に作用させることができたが、今ではγ線の1個フォトンを1個の細胞に作用させることが可能になりつつある。これらの手法を用いて自然放射線レベルの1個の細胞に対する1個の放射線の作用が明らかにされるかも知れない。
会 場
実験的に用いられる線量は自然放射線よりはるかに高い線量。人間の被ばくを考えた時にどのような形態の実験を考えたらいいのか。どんな実験系が必要か。
野 村
線量的には0.1Gyの実験が限界。それ以下で実験が可能かという問題がある。Russellの実験でも0.5Gyまで。現実的な制約がある。
佐 渡
(財)環境科学技術研究所での低線量(率)実験は期待している。
会 場
ICRPの新しい勧告では評価基準を自然放射線レベルに置こうとしているが、原爆のような1ショットの被ばくに対してDDREFをどう評価するか。広島・長崎のデータの評価はしきい値の有無とリスク予測モデル(発がんの時間的分布:被ばく後の長い時間経過の間にどのようにがんが発生するかを予測)で行うが、高線量率・低線量率で作用するターゲット細胞が異なり、またメカニズムが異なるなら、防護は統計のみでななく、生物学や物理学との関連で考えるべき問題になる。
丹 羽
生物学研究では何万匹という研究はできず、データは数的に限界があり、統計的には評価できない。数ではだめなので、メカニズムなどからアプローチするしかない。
野 村
数には限界があるので、他の方法、例えばDDREFなどを用いる。
田ノ岡
我々の実験は1群30匹で行っているが、ある系によってはゼロか100%で、統計的には問題なく有意差が得られる。
会 場
統計処理は必ずしもメカニズムを反映している訳ではない。少ない数で判断出来る実験もある。数は研究目的によって決まってくる。
会 場
生物は環境に適した進化をしてきたと考える。自然放射線は生物の進化の過程で常にあったものなので、ヒトに害を及ぼすものではないような気がするのだがどうか。
丹 羽
その議論は成立し得ない。進化論的には生殖年齢後のことはどうでもいいはずだ。現在のように寿命が80歳にもなった場合の問題、例えばアルツハイマー病やパーキンソン病などはpost-evolutionary errorである。がんはそのようなエラーの第1番目のものだ。
(*進化の過程で獲得した必然的な機能や働きに伴う自然の間違いではなく、異常な状況、つまり本来生きていないはずの年代を生きているという人工的な状況に起こる間違いのこと。何億年もかけて進化する過程でそのような間違いが必然的に起こるのなら生体はそれに対する防御を発達させてきただろうが、50年以上生きることになったのはほんの半世紀くらい前に過ぎない。したがって進化の過程ではそれに対する防御は発達してこなかったはずで、対応または適応できない。)
田ノ岡
私は適応できると思う。生物は進化の過程で紫外線に適応した。(エネルギー代謝に伴う)ROS(活性酸素)に対する生体防御が放射線に対する防御にもなっている。
会 場
私は近く「食の効能研究会」の旗揚げをする予定。そこではカロリー制限がサルの寿命を延ばすかという実験が進行中だが、40年近くかかる。経過中にintermediate endpoint markerとして基礎代謝・血中インスリンレベル・ホルモン分泌量を測定することである程度結果が推測できる。同様に発がんに関するこのようなマーカーはないものか。
野 村
マーカーを見つけるために、数を追求してその中から統計的に何かを見いだすということはもちろんできない。実験的に可能な範囲では、予定しているジーンチップなども検索の役に立つだろう。
(ジーンチップ:DNAチップ、DNAマイクロアレイともいう。シリコンチップまたはガラス版上に塩基配列がすでに分かっている一本鎖DNAを整列化/固定したもの。サンプル中にそれぞれのDNAに結合するmRNAがあるかどうか、どのくらいあるかがわかる。1センチ角のチップ上で数万個のDNAの発現を同時にスクリーニングできる。例えば放射線照射細胞のmRNAを抽出して、このチップに反応させれば、数万個の遺伝子がどのように影響を受けるかがわかる。もし、いくつかの遺伝子の発現とがん化の程度に相関が見られれば、それらの遺伝子をマーカーとして使えるかどうかを詳細に検討することができる。)
佐 渡
(財)環境科学技術研究所で進行している実験においても、そのようなマーカーを探索することができるのではないか。
古 瀬
自分は放医研での研究で数万匹のマウスを扱ってきた。そのようなマーカーのことは念頭にあったが。それらのサンプルは冷凍保存してあるので、分析してマーカーを探ってみたい。
神 谷
野村先生の仕事により各臓器ごとのしきい値があることが明らかになった。これはそれらの臓器の放射線感受性そして修復能の違いの問題である。しきい値の問題は疫学としてではなく生物学の問題として捉える必要がある。
野 村
これまでに実験に用いたマウス2万匹分のサンプルが冷凍保存されている。有効利用できればいいのだが。
丹 羽
放射線はホットなテーマとして扱われず、官僚にアピールしない。政府は例えばゲノムには金は出すが、放射線には出さない。研究用原子炉の多くが閉鎖した。大学が法人化するともはや維持は不可能。放射線研究は全体的に低下している。将来を見て協力が必要。
会 場
私は核融合の分野でトリチウムの研究をやっている者だが、放射線の生体影響の分野の研究を続けてほしいと思う。
野 村
環境という時、今はコストや産業的・工学的な観点でしか見ない。生物影響についての考慮が少なくなってきている。
会 場
野村先生が組織によって発がんのしきい値が異なっていることを示したが、ここにはメカニズムが関与している。ぜひ治療と連携して発がんの研究をしてもらいたい。
 コメント

 

  • 異なるグループからの実験結果を整合的に評価することが難しい理由は、条件の不統一である。マウスの系統・線量率・総線量・照射スケジュール(継続的・断続的・1回照射)その他を統一して実験を分担するようなことが必要だと感じた。貴重な時間とエネルギーを無駄にしないためにも、国内あるいは国家間のプロジェクトを計画するべきだろう。
  • 防護側は政策的・社会的にこの問題を扱っているが、それを正そうとする側は科学的証明を追い求めている。放射線防護は本来放射線生物学の問題ではなく、社会学的な問題であるはずだ。したがってこの問題を社会学的に検討する試みもあってよいと思う。日常生活における安全性/危険性のレベルと放射線の危険性レベルを比較することが、現実的な解決へのひとつの道すじと思われる。
  • 今回のシンポジウムではDDREF値が2であるということを支持するようなデータが多かったが、これはあくまでも実験的に影響(がんや突然変異の発生)が見られる範囲で得られた結果である。動物実験での制約があるには違いないが、低線量率のレベルがmSv/時では、防護において現実的な問題となる被ばくレベル(mSv/時の被ばくで年間数十mSv)とは、まだあまりにかけ離れているように思えた。

文:高橋 希之
東京理科大学客員研究員
(本会会員)


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