シンポジウムの内容

発がん機構

 発がん機構については、従来のDNAの直接的な傷害による遺伝子の変異が原因とされてきた機構(直接機構)とは別の間接機構が約10年くらい前に提唱され(そのパイオニアのひとりが、シンポジウムで発表したJB Little)、現在では放射線発がん研究の主流となりつつある。一言でいうと、実際に照射を受けた細胞以外の細胞も同じように発がんに結びつくような傷害を「間接的に」受ける、というもの。これには二通りあり、照射を受けた細胞の子孫に現れる「時間的な」間接影響(遺伝子の不安定性と呼ばれる)と、照射を受けた細胞の近傍の細胞に現れる「空間的な」間接影響(Bystander effectと呼ばれる)である。

 今回のシンポジウムではBystander effectに焦点が集まっていた。話題はギャップ結合(細胞と細胞が接しているときに、物質のやりとりをして相互に情報の交換を行うために、お互いの細胞膜同士を貫通して形成する通路(穴)のこと)を介して、この放射線傷害の情報または傷害のシグナルを伝達しているようだという点。このシグナルの実体は未知だが、活性酸素が関与しているようでもある。このようにして放射線の発がんに結びつくような影響は時間的・空間的に伝播し、最終的に我々が疫学や動物実験などでみる発がん確率やDNA変異のデータを形成することになる。

 そもそもこうした新しい考え方の導入を強いたのは、放射線発がん細胞の染色体変異の分析結果で、いわゆる高線量放射線照射に特有の変異(欠失)が見られず、むしろ自然発がんに見られる点変異が主となっているという事実である。これを説明するために、この直接のDNA傷害ではなく自然に発生する変異をがんに成長させる、いわばプロモータのような役割を果たす間接的な影響というものを考える必要があった。現在はこのメカニズムの解明に興味の中心があり、線量・線量率が問題にされるのは先のことであろう。以下にそのいくつかを紹介する。

 

Bystander effect

◆照射細胞から非照射細胞への傷害の伝達

 これまでにα粒子を用いて、培養細胞中の非照射細胞において姉妹染色分体交換(sister chromatid exchange)やHPRT(酵素hypoxanthine guanine phosphoribosyltransferaseの略。ほ乳類細胞のDNA変異の研究によく使われる遺伝子。この遺伝子の変異を測定・分析することによってDNA の傷害を推測する)遺伝子の変異が見られることからbystander effect が明らかにしてきた。また、これらの現象はDNAの傷害を伴っており、何らかの傷害のシグナルが近傍の細胞間を伝達されていることを示唆している。

 このメカニズムを明らかにするために遺伝子発現を検討した。P53とp21Waf1(p53によって誘発されるタンパク質で、細胞周期を停止する働きがある)がbystander細胞で顕著に増加した。P53のセリン-15(p53タンパク質のアミノ酸配列の15番目アミノ酸セリン)のリン酸化が増加しており、bystander細胞中で引き起こされるDNA傷害が示唆される。P53とp21Waf1の発現の増加は、細胞密度の低い場合とギャップ結合の阻害剤を用いた場合に抑制された。またコネキシン43(ギャップ結合を構成するタンパク質の総称)を介したギャップ結合による細胞間の伝達が重要であることも明らかになった。この細胞間伝達はSODやNADPHオキシダーゼ(細胞膜にある酵素でスーパーオキシドを発生する)の阻害剤によって抑制され、NF-kB(nuclear factor κBの略。転写因子の一つで様々な遺伝子の発現に関与している。とくに活性酸素によって活性化されることが知られている)の誘導が見られることから酸化ストレスが関与していると考えられる。このことはbystander細胞のHPRT変異のほとんどが直接の放射線照射によって引き起こされる欠失とは異なる点変異であることを考え合わせると興味深い。

 さらにストレス関連のシグナルを検討した結果、2-4倍の発現の増加がJNK(c-Junの末端のセリン残基をリン酸化するキナーゼで、これによってc-Junの転写活性を増強する。c-Junは転写因子AP-1を構成するタンパク質)、ERK1/2(MAPキナーゼをコードする遺伝子。MAPキナーゼは細胞増殖、細胞周期および細胞分化・発生の様々なシグナル伝達系で中心的役割を担うと考えられている)、p90RSK(MAPキナーゼによって活性化されるタンパク質で、一部は核内に移行し、核内の様々なタンパク質のリン酸化と活性調節に関与すると考えられている)、Elk-1(ERK1/2の下流にある(シグナルを受ける)タンパク質)、ATF2(転写因子の一つ)において見られた。これらの変動は照射後15分ですでに観察され、少なくとも1時間持続した。 これらから、bystander細胞においてDNA傷害に基づくシグナルと共に細胞膜に由来するシグナルを含む複数のシグナルが関与していることが明らかになった。

 

◆α線マイクロビームを用いて培養細胞の20%のみが照射を受けたにも拘わらず、その3倍の数の細胞に変異が見いだされた。ここでは明らかに照射細胞が非照射細胞にbystander effectを誘導している。

 細胞にNAC(N-アセチルシステイン(N-acetyl-L-cysteine))細胞透過性のシステイン誘導体。細胞内でシステインに代謝され、抗酸化物質であると同時に、グルタチオン生合成の材料となる)を前投与した場合、ほんのわずかな抑制がみられたに過ぎなかったが、コネキシン43を介したギャップ結合を阻止した場合bystander effectは観察されず、X線の前照射で約40%の抑制が得られた。

 これらの結果は、たった一個のα粒子の通過によっても大きなbystander effectが誘導され変異が発生する可能性を示し、このことは特に低線量域での線量-作用関係を考える上で重要である。一方、適応応答も同時に誘導される場合があり、低線量での生物応答はこれらを共に考慮して扱う必要がある。

 

◆照射細胞の子孫での細胞外マトリックスの変化

 電離放射線の照射によってマウスの乳腺の細胞外マトリックスに速やかなそして持続的な変化がもたらされ、これにTGF-β(トランスフォーミング増殖因子β。多くの細胞の増殖抑制因子で細胞の増殖抑制、細胞外マトリックスの産生、免疫能の抑制などの作用をもつ)の活性化が関与していることが明らかになっている。これは照射組織に移植された非照射細胞での発がんに関与している。(Cancer Res. 60:1254-1260,2000)細胞外の微少な環境に作用することによって細胞間の伝達に影響を及ぼす可能性を検討した。

 ヒト乳腺細胞に照射またはTGF-βを投与することによってα6インテグリン(細胞が細胞外の繊維状物質(細胞外マトリックス)に接着する際に機能する細胞表面上のタンパク質インテグリンの一種)が減少した。照射はβ1インテグリン(インテグリンの一種)を増加した。0.1-4Gyの照射によってα6インテグリンとE-カドヘリン(動物細胞が互いに接着する際に必要な分子の一種)共に減少した。このように、照射によって細胞と組織の配列や構成を担う接着因子の発現の減少が引き起こされる。この作用は照射細胞の子孫においても見られることは、このような放射線照射の影響が遺伝的に伝えられることを示している。

    


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